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    February 28

    1曲の長さについて

    最近というか、音楽作品(歌もの)は一般に、だいたい1曲が3分から6分ぐらいに収まっているような気がします。今回の疑問はこの長さです。
     
    個人的には、2分で終わってしまったり、40分も続いたり、果ては3時間続くような(オーケストラみたいな)曲(歌)があってもいいと思うのです。歌手の声も楽器のひとつと考えれば、そういう曲の作り方も「あり」だと思うのですが、しかし、なぜか申し合わせたかのように4分前後なのです。
     
    いろいろ表現したいことがあって、そうすれば、中には4分に収まらないものも出てくるでしょうに、削ったり膨らませたりして、無理してでも収めようとしているのではないでしょうか。完全に憶測ですが、これを裏付けるものとして、音楽業界には「Aメロ、Bメロ、サビ」などという用語が存在しています。
     
    これらメロディーとサビの部分に曲と歌詞をあてはめて、適当な主張、感情表現を行うという制作様式となっているとすれば、現行の音楽作品は、すべて定型歌のようなものと理解できそうです。
     
    疑問が解決してしまいました。一般に発売されている音楽作品は、自由歌ではなく、定型歌だったんですね。定型のほうが時間が決まっている分、商業ベースに乗りやすいでしょうし。納得しました。
    February 24

    長寿だね、「噂の!東京マガジン」

    長寿番組というと『徹子の部屋』、『笑っていいとも!』が双璧ですが、それに続いて『噂の!東京マガジン』も20年弱と、なかなかの長寿番組っぷりを見せています。
     
    しかし、その長寿っぷりはそのまま、「噂の現場」で取り上げられる、もめている自治体の多さを表しているわけですから、なんとも素直に喜べないところです。
     
    ほぼ同じ歴史をもつ『探偵!ナイトスクープ』が、視聴者からの要望に着実に答え続けているのとは対照的です。まあ、扱う問題のレベルが個人と自治体とで違いますから、比較するのは乱暴ですけど。
     
    「噂の現場」のような視点は、NHK以外にはなかなか見られないものなので、がんばって欲しいところです。テレビ東京『ガイアの夜明け』なんかとタッグを組んで、うまいこと商売に絡めて解決するとか、そういう番組提携みたいなものをやってみてもいいのではないでしょうか。適当なこと言ってます。
    February 21

    島田紳助の癖と、その対処法

    『クイズ!ヘキサゴン2』を見ていて、島田紳助のある動作が目に付きました。
     
    それは、島田紳助が出演者につっこみをしたとき、本人がなにか「言ったった」みたいな手ごたえを感じたとおぼしき場面で、高確率でネクタイの結び目のあたりを触わる、というものです。
     
    変な癖だなと、そこで引き下がってもよかったのですが、なんで触るのかが不可解だったので注意して見たところ、それは、触るのではなく、正確には「直している」ようでした。
     
    このネクタイの修正ですが、ここ最近のことではないようなのです。というのも、私が覚えている限りの過去の島田紳助は、みんなあの動作をしているのです。つまり、あの動作には何かある。当たり前ですけど。
     
    そこで気になったのは、スーツです。島田紳助はいつも同じ型のスーツを着ているようです。変わり映えしないのでたまには変化をつけた方がいいと思いますが、それは個人の好みということで置いておくとしても、この「いつも同じピチピチのスーツを着ている」というところに謎を解く鍵がありそうです。
     
    ちなみに、さらに思い返してみると、島田紳助はここぞというところでつっこみをする時、相手を指差す癖があります。気合が入れば動きも激しくなる。着ているスーツはピチピチ。着衣は当然乱れる。ネクタイも乱れる。そのままにしておくと、ネクタイがずれていて変。だから直す。と、予想するに、こういう流れの上で起こるべくして起きたのが、「あの動作」のようなのです。
     
    ということで、あのネクタイ修正動作が島田紳助のアイデンティティであったり、プロスポーツ選手が競技に集中しているときに出る癖のようなものならば、もはや対処の必要はありませんが、そうでないならば、直した方がいいでしょう。あの動作はどこか嫌味ったらしいです。(まあ、本人のキャラとの兼ね合いもあるので、お節介ですけど)
     
    直す方法も簡単です。スーツにバリエーションを持たせ、オシャレをすればいいのです。バリエーションと言っても、ストライプにするとか、生地のことではありません。ピチピチをやめれ、ということです。愛川欽也とかを見習って、ついでに髪型に変化をつけるのも手だと思いますよ。
     
    これで、視聴者の好感度もいくらか上がることでしょう。まあ島田紳助には、そんなの要らないでしょうけど。
    February 20

    無謀なる読書計画

    最近、100冊キャンペーンについて触れたばかりですが、このほど新潮文庫の100冊を読み始めました。
     
    やはりあらかじめリストアップされていると、本選びに苦労しないのでいいですね。並行して、講談社とか文藝春秋についても少しずつ、読み進めようかと思います。ちなみに長門有希の100冊も集めだしましたが、こちらは集めっぱなしで読んでいません。
     
    目標達成のためにはほぼ全部読まないといけないような状態ですから、全部読もうとすると圧倒されますので、あまり無理せず、嫌になったらやめるくらいのつもりで始めたいと思います。
     
    よく考えると、結構無謀な計画ですね。読書好きな人からすれば、無謀じゃないのかもしれないですけど。
    February 19

    本の帯の処置

    新品、中古品、どちらでもついているときはついている本の帯、一般的にはどういう風にしているのでしょうか。
     
    私は当初、ためらうことなくすぐに捨てていたのですが、最近中古で買ってきた『模倣犯』(宮部みゆき)に帯があり、その帯が2枚重ねで、なおかつ内側の帯がカバーデザインに合わせて加工してある、という以上3点を鑑みて、しおりの価値を再考することにしました。
     
    調べてみたところ、同じ話題で疑問を投げかけているブログがあり、その反響をまとめてみると、以下のような樹形図になりました。(参考:カラスはなんで感電しないのか?

    残しておくよ派(帯には価値あるよ派)
        │
        ├─つけておくよ派(保守派)
        │   ├─そのままつけておくよ派(現状維持派)
        │   └─カバーの下につけておくよ派(過保護派)
        │
        ├─はずしてはさんでおくよ派(合理的保守派)
        │   ├─折って縦にしておくよ派(保存第一派)
        │   └┬日焼け跡が気になるよ派(耽美派)
        │     └─価値が下がるよ派(経済価値追求派)
        │
        ├─はずして読み終わりに戻すよ派(新保守派)
        │   ├─そのへんに置いておくよ派(自由放任派)
        │   └─決まった場所にしまっておくよ派(超過保護派)
        │
        ├─しおり代わりに使うよ派(積極的保守派)
        │   ├─帯だけ使うよ派(過激派)
        │   └─カバーごと使うよ派(一蓮托生派)
        │
        └─とりあえず残しておくよ派(消極的保守派)
             ├─本の値段はしおり込みだからもったいないよ派(清貧派)
             ├─つぎの読者のためだよ派(世界遺産派)
             └┬見た目が大事だよ派(デザイン重視派)
               └─帯ありきのデザインなら残すよ派(選択的デザイン派)
     
    残さないよ派(帯なんかに価値ないよ派)
        └─捨てるよ派(強硬派)
     
    どうでもいいよ派(無関心派)
        ├─自然とはずれるよ派(吉田兼好派)
        └─ボロボロになってはずれるよ派(エントロピー増大派)

    上記の保守の位置づけについて補足しておくと、本の帯ノーダメージ思想を(新)保守とし、帯ダメージ容認の度合いが小さいものから順に、消極的保守、合理的保守、積極的保守としました。まあ、消極的保守については保存方法が明らかでないので、位置づけが不安定ですけど。
     
    また、「カバーの下につけておくよ派」の方法については、本によっては帯の方がカバーよりひと回り大きくできていることがあるので、そういう時にはたわみができてしまい、無理なようです。
     
    まとめてみると、思いつかなかった意見もあり、面白かったです。日焼けが気になるとか、価値が下がるとか(主に耽美派あたりですが)。かく言う私は、冒頭で「当初」と述べていたとおり、これを踏まえて、はずして読み終わりに戻す(新保守派)のうち、そのへんに置いておく(自由放任派)かたちに立場を変えていこうと思います。 
    February 18

    100冊キャンペーン、いろいろ

    夏でもないのに100冊キャンペーンについて。今回、「ザ・スニーカー」で発表されていた「長門有希の100冊」に触発されまして、文庫のキャンペーンについて調べてみました。
     
    私個人は新潮、角川、集英社の3つしか知らなかったわけですが、調べてみると、合計7文庫でキャンペーンをやっていました。内訳は新潮、角川、集英社、幻冬舎、文春、講談社、ハヤカワということで、結構やってますね。
     
    ついでにキャンペーン開始年を見てみると、新潮は1976年、集英社は1992年(「ナツイチ」の冠初出は94年)、角川は少なくとも80年代(詳細わからず)から、後発組の幻冬舎は2000年、文春は2002年、講談社は2004年から、ということです。
     
    新潮と角川が異様に早いですが、ここ最近で、ずいぶん業界にも浸透していたようです。
     
    まあ、それもそのはず。キャンペーンそのものの趣旨は、中高生を主とした新規層へのブックガイドなんでしょうが、まあ、案の定、コレクター魂に火がつくというんでしょうか。そっち路線にも集客が見込めるということで、Yonda?君が存在するわけですが、その不敵な笑みもあってか、中高生以外にもコンプリート欲求の高まる人が続出です。各社これを見て、飛びつかないわけありません。Yonda?君してやったりでしょう。
     
    まあ、それはいいとして、冒頭の「長門有希の100冊」みたいな出版社横断的な100冊も面白いので、流行ってほしいです。
     
    (今回、ソースとして「趣味は読書」を全面的に参照しました)
    February 16

    『理由』、読みました

    『理由』(宮部みゆき)を読み終わりました。本当に今さらですが。
     
    個人的には、最後の「出頭」の章を膨らませて、もう1章分くらいあってもよかったかなと思いました。それくらいなら読者はついていったと思います。まあ、素人意見です。
     
    それで、ちょっと評価が気になったので、「直木賞のすべて」で選考委員の評言を読んでみたところ、もろ手を挙げて賛成の人もいれば、まあいいかという人もいて、さまざまですね。
     
    作品とは関係なく、直木賞の選考制度についてですが、気になったのは、レフェリーが公表されているという点です。匿名の審査ではないんですね。言質を取られようが気にせず意見を言えるという、文壇の気風でしょうか。ある意味、理想ですね。
     
    あと、選考委員が高齢というところも気になりました。下の層は作品に専念する時期ということなのか、単にやりたがらないということなのでしょうか。たぶん、やりたくないんでしょうね。恨みとか買いそうですし。
    February 14

    Bloomberg、あの帯はなに?

    Bloombergを見ていて疑問に思ったのですが、株価のチャートなどが出ているメイン画面の下で、常に流れ続けている株価情報(2本あるやつ)がありますけど、あれはなぜ速度をずらしているのでしょうか。
     
    緩急をつける必要をあまり感じないのですが・・・。むしろ、どちらとも、遅いほうに統一した方が見やすいと思うのですけど。・・・それって、相場に生きる人でない感覚なのでしょうか。
     
    Bloombergって玄人向けの番組という気がします。それにやはり一分一秒を争う世界です。どうせなら、慣れている人にしか識別できないくらいの猛スピードで帯を回した方がいいのではないでしょうか。
     
    すいません。発言内容が小学生ですね。
    February 13

    テスト・ザ・ネイション、事後報告を怠るな

    テレビ朝日の『テスト・ザ・ネイション』の人間関係力テストをやってみました。結果は45/70で、人間関係力指数は103でした。中途半端です。まあ、平均なので当然ですね。
     
    さて、それで、ひとしきり楽しんだところで、視聴者として目についたこの番組の欠点ですが、ずばりテスト後のフォローですね。
     
    テストそのものは、「例題、本題、答え合わせ」が緩やかに流れていく段取りで、途中だれてくることはあるにせよ、まあいいとしましょう。
     
    しかし、最後にオンライン参加者などの集計をして指数を出してからの慌ただしさといったらないです。「はい終わった!集計!指数はこうなった!芸能人参加者はこうだ!職業別平均!男女別!それではさようなら!」ですから。
     
    それに、私はオンラインでやっていたので、いろいろプロフィールを入力しましたけども、それについてもテスト結果の放送に反映されることはありませんでした。(年齢、血液型、職業、年収、都道府県とかあったのに)
     
    それって、すごくデータがもったいないですよ。オンライン参加者、80万人だっていうんですから。センター試験の受験者数よりも多いじゃないですか。すごい情報量ですよ。
     
    だから放送後に、ぜひとも、ネットとかでもいいので、予備校の模試で作成するデータブック並みに、なにか発表してほしいです。というか、すべきです。各ブロックごとに、いろいろテーマがありましたし、人間関係力をもとに適職診断とか、志望判定とか絶対できますから。
     
    ということで、4回目?になってもそうした対応を取らないテレビ朝日に憤りつつ、終わりです。
    February 12

    英語教育、日本にその気はない

    日本は英語教育が遅れていると言われて久しいです。特に、「聞く」「話す」が弱いと言われています。そして、これは教育関係者のみならず、国民全員周知の事実です。では、なぜ対策を打たないのでしょうか。ここで、タイトルが出てきます。日本にはその気がないのです。(以下、国民レベルでの英語教育という、多少、大風呂敷な話となるのをご承知下さい)
     
    対策は分かっています。国民に英語を浴びせればいいのです。「CNNを聞け」とか言うくらいですから。だから手っ取り早く、英語の専門チャンネルを地上波に作ってしまえばいいのです。そうすれば、国民の耳は英語に慣れます。(番組ではダメです。現在放送中の『NHK外国語講座』でもとても足りません。やるなら、24時間放送し続ける必要があります。それに、有料放送などはもってのほかです。だから地上波なのです)
     
    英語学習において、長時間、継続的に聞き流すことが効果的であることは、マラソン学習などでもお馴染みだと思います。逆に言えば、それくらい継続しないと意味がないということです。しかし、それを承知していても、意欲のある個人が独力でこれを実行しようとすれば、意外とお金が掛かったり、手間が掛かったりして挫折しやすいものです。それに、国民全員に浸透させようとすれば、さほど興味を持たない人にも英語に触れてもらう必要が出てきます。それには、テレビがもっとも手軽だと思うのです。
     
    そういうわけで、ネイティブスピーカーによる英語放送の需要を、全部まとめて国が汲み取ってやればいいわけです。テレビ放送によって。
     
    しかし、上記の「地上波英語専門チャンネル開設」には、大義名分なり必要でしょう。教育にしては大掛かりな感じがしますし。でも、それは明白です。
     
    英語はいまや世界標準言語です。それに、日本の資源は人材です。人材を育てるのは教育ですから、これはある意味、死活問題です。教育について手を抜いたら、日本は死にます。それに、将来的には、英語が必須となるでしょう。まあ、これくらいですけど。
     
    すごい勢いでまくし立てていますが、なにせ、国民皆英語です。この国益は計り知れません。こうして耳の下地ができれば、意外とすんなり解決されるのではないでしょうか。英語教育。
     
    しかし、この方策にも問題はあります。まず、民間による抵抗です。通信教育、英会話学校とか。あと、放送インフラの問題があります。現行の民放ですら、都市と地方で局数に格差があります。でもまあ、これは国による放送ですので、NHKみたいに何とかなるかもしれません。あとは、放送内容でしょうけど、これは当座の間はCNNをそのままとか、やり方はあると思います。
     
    ということで、以上、かなり分かりやすい対策法があるにもかかわらず、それを放置するやる気のない日本、という視点でまとめました。それにしても、何で放置するんでしょうか。不思議です。
     
    まあ、別に、こんな方法でなくてもいいんです。政府サイドでは、私立学校で行われている効果的な学習法とか、その手の情報も収集しているでしょうし。(そういう情報を持っていながら、何もしないというのもまた不思議ですが)
    February 11

    文庫の組版あれこれ

    文庫本(古本)を読んでいて、出版社ごとに結構組版が違うのに気づきました。それで、この際なので、以前調べてみた投資信託の愛称のように、自分なりにまとめてみようかと、思います。(思っただけで、まだできてません。本当はできてから載せればいいんですけど)
     
    文庫本を出版している(割と大きく取り扱っている)ところといえば、新潮、角川、講談社、小学館、文春、中公、集英社、岩波、朝日、幻冬舎、ちくま、などが代表的でしょうか。まあ、いくつか複数の文庫を抱えているところ(角川のスニーカーやホラーなど)もありますが、手に負えないので、ここに挙げた、とりあえず直系だけまとめてみることにします。
     
    傍から見てると怪しいですね。組版に対して好き嫌いというか、変なこだわりをもっている人間というのは。自分で言うのもなんですけど。でも仕方ないですね、同じタイトルならこっちの出版社の方がいいなあという嗜好みたいなものが確かにありますので。
     
    まだあまり知名度はないですけど、絶対にいるはずです。組版マニア。DTP・出版マニアとか。まあ、その第一歩みたいなものでしょうか。別にマニアを目指しているわけでも、普及したいわけでもないですけど。
    February 10

    ナンシー関読んでみました(2)

    以前の「ナンシー関読んでみました」から、『何が何だか』、『何がどうして』、『何はさておき』、『テレビ消灯時間(1、3、4)』とナンシー関を読み進めていて、いくつか思うことがありました。
     
    1つめは、自分も影響受けてるなということです。「これはいい」と思って多少のめりこんでしまうと、写ってしまうということでしょう。気づいたときは「しまった」と思いました。恥ずかしいです。
     
    2つめですが、これほどの技(芸)ですから、後継者もいるのではないか、という疑問が浮かびました。そうしたら、どうやらいたようです。「キャロラインしばた」という人がそうらしいのですが、早速、告発記事のようなもので、抜粋されたものを読んでみました。そして、その文にあるとおり、確かに「なりたがっている」なと感じました。なんというか、分かり切っていることを文字に起こしているだけで、評論家にしかできない、一般大衆が抱える理解し切れない「もやもや」を文字に落とし込むというところまではできていない、という感じでしょうか。あるいは、筆者独自の視点というものがないというか。
     
    ナンシー関に関しては、一時期の「へぇ」と同じ状況が未だに続いているように思います。芸能関係について批判した途端、ナンシー関が思い出されて気まずくなる。しかしながら、芸能関係というのは話題になりやすいですので、質が悪いと言えばそうなんだと思います。
     
    あと後継者については、「小田嶋隆」という人もいるそうで。「ペリー荻野」(時代劇専門らしい)、「麻生千晶」、「丸山タケシ」という人も。『ピンポン!』に出ている「マツコ・デラックス」もその手の人だったんですね。層が厚い。というか、自分の無知っぷりがすごいようです。ちょっと勉強します。
    February 08

    渡る世間は鬼ばかり、永久モード間近か

    『渡る世間は鬼ばかり』は永久モードに入ったのではないか。今日の放送を見ていて、ふと思いました。
     
    今回の放送でその証拠が出揃った、というわけではありません。熱心なファンではありませんので、そのような判定能力はありません・・・(ファンですらないです)。単なる憶測です。
     
    ですが、勝手にそう思うに至った根拠があります。それは台詞回しです。見るシーン、見るシーン、老若男女を問わず、セリフの構成がまったく同じなのです。偶然ということもあるでしょうけど。
     
    最初は、子供が大人と同じ抑揚、速度で喋っている光景を、ドラマ的に「よし」としてしまう強引さに戸惑いました。しかし、視聴者側が一旦これを「よし」とすれば、ドラマ作成時に、セリフはパターン化できることになります。
     
    あともう1つ言うと、ストーリーに関しても、概ね問題ないでしょう。これも憶測ですが。
     
    渡鬼の放送は、今年で17年目だそうで(断続的であるとはいえ)、ストーリーの進め方に関するノウハウは、現在までの放送分であらかた網羅されているのではないでしょうか。あるいは橋田壽賀子ファミリーのことです。側近には、おそらくその神髄、既に伝承されているでしょう。
     
    とすれば、ドラマの基礎を成すストーリーと細部を支えるセリフ回し、この2大要素が、将来的な展開に関する作成方法も含めて、橋田壽賀子独占ではなく、ファミリー共有となっているということになります。
     
    極言すれば、壽賀子不在でもドラマは進められる。冒頭の「永久モード」というのは、まさにこの状態のことです。
     
    ちなみに、永久モードの典型は、『サザエさん』と『ドラえもん』です。いずれも原作者不在ですが、問題なく回っています。あとは時代劇ですね。
     
    まあ、渡鬼も「国民的ドラマ」とか言われるようになれば、本格的に永久モードに入っていくのではないでしょうか。(今回、結局全部憶測でした)
    February 07

    節分の豆のやり場

    とっくに過ぎてしまいましたが、節分について。
     
    疑問に思ったのは、節分でまく豆です。あの大豆。あれはどうすればいいんでしょうか。
     
    もちろんまきます。「福は内、鬼は外」とうことで。そうして、何回かまいたところで、買ってきた袋に、豆がまだ残っている。そしてその豆を、年の数だけ食べる。ここまでは規定路線でしょう。
     
    それでもなお、残っていた場合は、どうすればいいんでしょうか。どうすればいいというか、どうしているんでしょうか。普通は。
     
    やはり食べるんでしょうか。単なる大豆ですけど。まずくはないけど、うまくもないという、微妙な味です。
     
    捨てればそれまでの、なんてことはない代物ですが、どうにもやり場がない感覚がします。貧乏性でしょうか。
     
    しかし、大豆。雰囲気で買ってしまっているものの典型ですね。さぞかし儲かっていることでしょう。恐るべし、伝統行事。

    気になった言い方

    また『スッキリ!!』で気になるフレーズがありました。
     
    今回は司会者の加藤浩次で、つぎのニュースに移るたびに言う、「ありがとうございました」です。(口癖というよりも言い方に分類されると思います)
     
    焦っているのか、やや詰まり気味に発音している感じです。発音の弱い部分をカッコで囲むと、「あり(が)とうござ(いま)した」と言っているように聞こえます。おおげさに言えば、「ありとうござした」です。アクセントは「あり」と「ござ」に置いてます。
     
    まあ、気になる人はいるだろうな、というレベルです。
     
    あと、いまさらですが、細木数子の声が、ドラえもんの声に聞こえます。大山のぶ代が手を抜いた感じ。
    February 06

    読まず嫌いの作家

    ブックオフに行って、100円コーナーの背表紙に目を滑らせていると、目当てであろうとなかろうと、目に付く作家というのが出てきます。
     
    男性では、赤川次郎、内田康夫、落合信彦、斎藤栄、椎名誠、西村京太郎、渡辺淳一。女性では江國香織、高樹のぶ子、田辺聖子、藤堂志津子、林真理子、森瑤子、山本文緒、唯川恵。いわゆる、多作な方々です。
     
    このような方々による、似たようなタイトルの本というのは、これでもかと言わんばかりに我が物顔で本棚の一角を占有しているものです。だから、嫌でも目に付くわけです。
     
    やや妄想的ではありますが、こうした光景を見ていると、他の作家のつけ入る隙を与えんとすべく作品を量産し、棚を侵食していこうとする意志のようなものすら感じられてきます。
     
    書店で客が手を伸ばすその先には、いつも自分の本がありたい。そういうえげつない野心のようなものを見せつけられているようで、やるせない気持ちにもなってきます。
     
    こんな調子ですから、私はなんとなくこういう方々には、もう分かったから、書かなくていいから、と言いたくなります。完全に余計なお世話です。でも、作家として、自分の作品が似たり寄ったりであること(全作品が類似作に堕していく感じ)に、違和感を覚えないのでしょうか。まあ、美意識の問題ですけど。
     
    まあ、一読者にすぎない私にできることといったら、ただただ、傍観することだけ。あとは、絶対に買うもんかという、妙な意地を張ることだけ。不買運動ですね。それで、今後とも、読まず嫌いでい続けようと決心した次第です。
     
    最後に、まったく関係ないですけど、宮部みゆき作品が100円コーナーにあまり降りてこないのは、なぜなんでしょうか。ちょっと欲しいもの、あるんですけど・・・。
    February 05

    スタジオパーク、2つの疑問

    『スタジオパークからこんにちは』を見ていて、疑問に思うことがあります。といっても2つだけです。
     
    1つは、有働由美子アナウンサーの関西弁です。
     
    ゲストが関西人であるときに、ここぞとばかりに繰り出してくるようですが、はっきり言って不要です。関東人の私からしても、有働アナの関西弁は不自然です。耳障りが悪すぎます。
     
    また、「ゲストに対して変な関西弁を話しても許される自分」というポジショニングを自己主張することで、本人が何か満足している風なのも、見過ごせないポイントです。困ったなあという感じです。
     
    あの関西弁を野放しにすることに、いったい何の意味があるのでしょうか。NHKの真意が分かりません。
     
    2つめは、後半のコーナーである「暮らしの中のニュース解説」です。
     
    ゲストのトークがいい感じに乗ってきたところで、突如はじまる印象があります。何の脈絡もなく、という言葉がそのまま当てはまる感じです。
     
    この時間、招かれているゲストは生殺しなわけです。他方、食いつき気味だった視聴者も、話の続き聞きたさにいたたまれず、苛立っているのではないでしょうか。
     
    率直に言って、コーナーごとフライングしているように感じられます。というのも、ニュースを重点的に扱っている後枠の『お元気ですか 日本列島』に収まっている方が、自然な姿に思われるからです。「気になることば」などをやる暇があるわけですし、コーナーを移動するのは時間的にも問題なさそうです。
     
    まあ、以上の2つですが、今後も訂正されることはないでしょう。番組的に明らかに問題というような感じではありませんから。NHKらしいと言えば、そうなんでしょうか。
    February 04

    キンキンの側頭部

    愛川欽也の髪型がルーズになってきていることにお気づきでしょうか。
     
    側頭部を見ていただければすぐに分かります。以前はばっちり決めていたのに、今は自然に任せたまま?のふんわり具合。
     
    今に始まったわけではありません。少し前に『出没!アド街ック天国』を見て気づいたくらいですので。
     
    キンキンの心境になにか変化があったのでしょうか。なにか嫌な予感がします。「女がオシャレをしなくなったら・・・」なんてことも言われますし。キンキン、男ですけど。なにか諦めたのでしょうか、気がかりです。

    あるいは、もしかして、キャラのシフトチェンジでしょうか。ベテランとして確固たる地位を築いているのに。今さらそんなわけないですね。
     
    まあ、『なるほど!ザ・ワールド』のときがどうだったか、なんて正確に覚えてないくらいの視聴者なので、実際のところ書き立てるほどのことでないかもしれません。
     
    なんにせよ、要経過観察ということで、しばし見守ることにしようと思います。
    February 03

    見たいものまね(2)

    以前、見たいものまねとして、水谷豊、立川志の輔、渡哲也を挙げましたが、自分のなかで新たに見てみたい有名人が出てきました。
     
    今回は、安倍晋三、北大路欣也、金田明夫の3人です。
     
    今やその名を知らない人はいないという内閣総理大臣な安倍晋三ですが、ものまねする上でのポイントは、なんと言っても滑舌でしょう。あれは、まねしようにもできない部類のものだと思います。かなり難易度だと思いますが、松村邦洋がまねする小泉純一郎のおもしろさを考慮すれば、挑戦しない手はないと思います。あとは、目の泳がせ方くらいでしょうね。
     
    北大路欣也も少し難しいかもしれません。節回しを再現するのは当然としても、ファービーにも例えられる、なんとも言えないあの外見。そして声色。この2つは、自分のものにできるかと言われると、唸ってしまうところだと思います。でも、これも相当おもしろいはず。
     
    最後に金田明夫です。どうすればいいのかよくわかりませんが、本人のキャラクターからしておもしろいので、これも検討する価値のある素材だと思います。
     
    まあ、前回の3人は基本的に口調、発音に特徴がある人だったので、そういう意味で今回は少し難易度高めかもしれません。でも、重鎮ばかりなので、ものにできれば使い勝手のいいネタになる予感がします。あくまで予感ですけど。
    February 02

    レイアウトと読み書き

    前回の「新聞記事のレイアウト」とも関連しているのですが、レイアウトというのは、読みやすさ(可読性)とかなり密接な関係がありそうです。というか、ありますね。それに、実際に読む段階だけでなく、読む前の段階でも、重要な役割を果たしているような気がします。
     
    たとえば、読者がある文章を読むかどうかを決める場合、内容が決定的に重要であることは言うまでもありませんが、それを読み切るのにかかる時間(あるいは文章量そのもの)を手早く掴むためにも、レイアウトは大事な手掛かりになっていると思うんです。あまり長いと、読む気がしませんし。
     
    あと、レイアウトは読む側だけでなく、書く側にも影響を与えていると思います。一行あたりの文字数によって、禁則処理との兼ね合いもあり、表現を変える必要がありますから。さらに、同じ文字数でも、行数が変わってきますので、文章の固まりとしての段落の印象も、微妙に違ってきます。
     
    自分でも、まあここまで気にすることないだろうという気がしてきましたが・・・、たまに気になります。
     
    そんな訳で、このブログの記事も、当初は適当な文字数で改行していました。それは、視線をあまり動かすことなく読み進められるから、そして、記事全体のボリュームを把握しやすいから、という2つの理由からです。
     
    これはこれで、短い文をテンポよく置いていくことができるのでいいのですが、そのうち、右側の空白が気になってきました。なんとも間が抜けた空間。それにいたたまれなくなり、最近改行をやめて、べたっとそのまま並べることにしました。それによって、多少というか、結構文章が冗長になったと思いますが、まあいいか、ということで方向転換しました。
     
    実際のところ、第三者的にはどちらがいいんでしょうか・・・。知る由もありませんが。分かればそちらに合わせてしまうんですけどね。まあ謎のままということで。